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ランナー便りのイメージ画像

ランナー便り

【ランナー便り】第4回 小林 丈二さん

健常者ランナーたちと互角に競走し合える喜び、それを全身で感じながら走り続ける

私は1977年名古屋市生まれ。生まれつき両眼に網膜色素変性症(RP)を患っています。網膜色素変性症は視力低下と視野狭窄が徐々に進行し将来的には視力自体を失ってしまう難病です。
視野が狭いために私自身も幼少期より目の前のものを顔の近くに近づけて見る習性がありました。

両親の強い意向もあり、教育はすべて健常者と同じ環境で受けてきましたが、座席は常に教室の一番前、それでも黒板の文字が見えないときは黒板の近くまで近づいて行って見たり、隣席の女の子や仲の良い友人からノートを借りて放課中に書き写したり、自宅での復習により多くの時間をかけたりしてクラスメートから遅れを取らないよう必死に勉強に励んでいました。

スポーツを好きなった学生時代、しかし・・・

小学生のときはスポーツは大の苦手で、特に球技はボールとの距離感が上手く計れないこともあって体育の授業が嫌いで憂鬱でならなかったことを記憶しています。
走るのも遅く、徒競走ではいつも最後尾。そんな自分を変えたいと中学では思い切ってサッカー部に入部しましたが、当然のことながら最初は他の部員に全く付いていけない状態でした。先輩からの助言で他の部員たちがパス練習などをしている時間、私は黙々とグラウンドの外周を一人で走り続けるといった練習を約1年継続した結果、走力は飛躍的にアップし、他の部員たちと互角に練習ができるようになり、走ることにすごく自信が持てるようにもなりました。

高校では陸上競技部に入部し、中距離種目を専門に練習しました。様々な運動部が狭い運動場にひしめき合いながら練習をするといった環境でしたので、走っていても横からサッカーボールやラグビーボールが飛んでくることもよくありましたし、冬など暗い中での練習では周りがほとんど見えなくて防球ネットに激突したこともありました。そんな危ない中での辛い練習でも、途中で挫折せずに引退期まで部活を全うできたのは、切磋琢磨し合える仲間がたくさんいて、そうした仲間たちがこんな私にも温かく接してくれたおかげだと感謝しています。

大学では陸上競技からは離れ、空手道部に入部、鼻骨がずれたり歯を折ったりと痛い思いや危険な経験をいっぱいしましたが、4年間心身をしっかり鍛えられたことは何事も嫌がらず、怖がらず、最後まで粘り強くやり抜くという点で今の自分にも大きく生きていると思います。

しかし、大学4年の秋にコンタクトレンズによる傷が原因のブドウ膜炎により左目が失明、従前に増して距離感がつかめなくなり、何かにぶつかるのではないかという恐怖感が先行してしまい、それからしばらくの間は全くといっていいほど体を動かすことをしなくなってしまいました。

再び走り始め、走れることに感動

再び走り始めようと思ったきっかけは、27歳のとき、自発的に点字を勉強しようと名古屋盲人情報文化センターへ通い始めた際に、講師の先生から「なごや楽走会」という視覚障害者のためのランニングクラブの存在を聞いたことでした。

恥ずかしい話、私はそれまでブラインドマラソンというスポーツがあることを全く知りませんでした。ボランティアで伴走をしてくれる方がロープを持って一緒に走ってくれ、それに加えて周りの状況もガイドして教えてくれる。そんなありがたく、かつ楽しいスポーツがあるのかとブラインドマラソンの魅力に一気にのめりこんでいきました。

それまで私はずっと健常者の友人の背中を追いかけながら走ってきましたし、左目の視力を失ってからは走ること自体もできなくなっていましたので、ブラインドマラソンと出会って再び走れるという喜び、安心して思いっきり走ることができるという感動はとても大きいものがありましたし、この気持ちはあれから12年以上経った今でも大切に持ち続けています。

仲間のサポートのおかげで走力もぐんとアップ!

なごや楽走会に入会してわずか2ヶ月後にブラインドマラソンのデビュー戦として名古屋シティーマラソン10kmに参加しましたが、それまでの運動不足、練習不足が影響し、40歳も年上の伴走者さんに終始励まされながら顔を真っ赤にし、ふらふらになりながら何とか10kmを走り切ることができました。
このデビュー戦でのほろ苦い経験から練習の必要性を認識し、そこからは猿投グリーンロードや尾張パークウェイ、岐阜の金華山などハードなコースに連れて行ってもらってしっかり練習をするようになりました。

入会翌年には初めてのフルマラソンとして揖斐川マラソンに参加。30kmまでは快調に走ることができていましたが、スタミナ不測でそこから急激に失速、途中から偶然合流した浜松並走会の伴走者さんにも励ましてもらいながら最後は歩くようなスピードで3時間56分で何とかゴールにたどり着くことができたという状態でした。

フルマラソンの厳しい洗礼を受けたその初フルから11年、これまでに30本近くのフルマラソンを走ってきていますが、最近になってようやく後半のスタミナ不足を解消できるような走りができるようになってきました。

30歳で結婚し、32歳で名古屋市南東部の天白区に引越しをしてからはなごや楽走会に加え、地元の市民ランナーズクラブである天白川走友会にも入会し、自分自身の走りのレベルアップを図っています。この天白川走友会は創立40年を迎え、多くのサブ3ランナーを輩出している伝統ある一般の市民ランナーズクラブであって、決して視覚障害者のためのランニングクラブではありませんが、エースの方を中心に多くの会員の方が「伴走」にも
理解を示してくれて、温かい気持ちでこの私を受け入れてくれています。普段から交代で私のロープを持って練習やレースで一緒に走ってくれています。

そんな多くの心温かい方々のサポートのおかげもあって今ではサブ3が狙えるぐらいまで走力もアップしてきました。時には伴走者として、また時にはライバルとして競走し合える仲間が同じ走友会の中にいることも私自身にとってはとてもありがたいことだと感じています。

このようにして、なごや楽走会や天白川走友会を通じて知り合った多くの市民ランナーの方たちと色々なレースを走ってきました。
かつて日本一ハードな陸連公認レースと唄われた御嶽マラソンにも2回参加して完走しましたし、人生初の海外マラソンとして東レ上海マラソンにも出走しました。

また、2010年から始まった長野マラソンの視覚障害者の部ではB2クラスで現在6連覇中です。そして、昨年からは自分自身の走りの幅をもっと広げていこうと新たに5000mなどのトラックレースやウルトラマラソンにも積極的にチャレンジするようになっています。

優勝したレースで出会った和田伸也選手から受けた衝撃

でも、こんな自分ではまだまだダメだと痛感させられたのは、4年ほど前に出場した福知山マラソン(全日本盲人マラソン選手権)のT12クラスで運よく優勝することができたときでした。

その大会の表彰式会場で私のすぐ前にはT11クラス優勝の和田伸也選手が伴走者の方たちと表彰を受けていましたが、ちょうどその記録が当時のアジア新記録を樹立されたレースでもあったようで、その記録自体にも驚かされましたが、何より和田選手の堂々とした立ち振る舞いに「自分と同年齢のブラインドランナーにこんなすごい選手がいるんだ!」とただただすごいと感心させられたものでした。

私自身は、それまで一回一回のレースでは過去の自分を超えられたことだけに満足しきっていましたが、和田選手という存在を知った瞬間から、もっと高い目標を持ってしっかり努力していかなければならないと強く感じるようになりました。

私自身は決して才能がある方ではありませんが、これまでの人生の中で人一倍努力することと、多くの方々のサポートを受けることで、目が不自由だという自分の前に立ちはだかってきた様々な問題や弊害を乗り越えてきました。
和田選手を始めとする世界の大舞台で活躍している国内トップクラスの選手たちの背中は今はまだまだはるか前にありますが、そうした選手たちの背中にほんの一歩でも近づけることを目標にこれからもあきらめることなくしっかり追い続けて行きたいと思っています。

ブラインドマラソンと出会い少しずつ自信を持てるように

仕事では大学を卒業してからずっと地元の市役所で事務の仕事をしています。拡大読書器やパソコンの画面読み上げソフトなどを駆使して仕事をさせてもらっていますので、職場環境は配慮をいただいている方だと思いますが、どうしても紙媒体中心で文字を読む機会が多いこともあり目を使って仕事をこなす必要があるため、以前は自分自身の力だけですべてやり切れていたことが、病気の進行により、健常者のサポートを受けないと、こなしていけない部分が徐々に増えてきて、病気がさらに進行し失明してしまったら仕事をこなせていけるのか?という不安とともに他の職員から半人前だと思われているのではないか?と自信を失うことも少しずつ増えてきました。

でも、ブラインドマラソンと出会い、少しずつ走力を上げてきている今、走ることでは少しずつ自信を持てるようになっています。
レースでは、伴走者さんが一緒に走ってくれているおかげで多くの健常者ランナーたちと互角に勝負ができていますし、良い走りができたときには「明日からもがんばっていこう!」と生きていく自信と活力をこのブラインドマラソンからいただいています。

これからも走る喜び、他のランナーたちと健脚を競い合える喜びを全身で感じながら力強く走り続けて生きたいと思っています。

小林 丈二

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