メニューを飛ばして本文にジャンプ

文字サイズ
  • 文字サイズを小さくする
  • 標準の文字サイズにする
  • 文字サイズを大きくする
ランナー便りのイメージ画像

ランナー便り

【ランナー便り】第5回 立野里美さん

私は、愛知県在住で先天性の小眼球、眼球振盪、角膜混濁による弱視です。

子どもの頃から運動が嫌いでした。
というより、体育の時間は、見学が多かったので、だんだん動くことが苦手になったんだと思います。
仕事をはじめて、数年、一日中立っていることが多かったので、苦痛でした。

そんな時に知り合いから、「走ってみない」と誘われたのがきっかけで、走り始めました。
なごや楽走会が発足して一年くらい経った頃だったと思います。

走り始めて、1ヶ月の頃に「20キロのレースに参加しない」と誘われました。
まだ、10キロ走るのも大変な時だったと思います。
1つ返事で参加しますと答えました。
知らないということは、怖いもの知らずで、何でも出来るんだなあと、今思い出すと、何と無謀なことをしたんだろうと思います。
しかも、真夏の耐久レースでした。恐ろしい。
その後、秋、冬は、3キロ、5キロ、10キロのレースに毎週のように参加して楽しみました。

私が走り始めた頃は、まだ、ランナーも少なく、弱視の私は、1人で走ることが出来ました。
時々、縁石でつまづいたり、三角コーンと仲良しになったりは、しましたが。

そのうちフルマラソンにも、挑戦したくなりました。
さすがにフルマラソンは、練習しないと走れないので、頑張って週末にもう少し長い距離の練習をしました(ほんの少しだけですが)
ジムにも通い始めて、少しずつトレーニングするようになりました。
96年からかすみがうらマラソン、いびがわマラソン、小笠・掛川マラソン、ホノルルマラソンなどのフルマラソンにも参加しました。
ゴールは、いつも、苦しくて、もう走りたくないと何度思ったことか。

でも、数日すると忘れて、また走りたくなるの繰り返しでした。
本格的に走り込みをしようと思ったのは、仕事を辞めた2000年の頃でした。
そこから、1年半くらいは、平日にも、外を伴走者の方と走ったりしていました。
あの頃も、フルマラソンの最後は、いつも、苦しかった気がします。
それから、100キロウルトラマラソンや、さくら道ウルトラ遠足270キロにも挑戦しました。
あの頃が一番自己ベストが出た時期でしたね。

第5回

あれから、十数年、その間に何度か、膝や腰を痛めたり、階段から落ちて鎖骨を骨折したりして、走れない時期もありましたが、今も、走り続けています。
最近は、マラソンブームで、大会のエントリー時期が早いのと、クリック合戦までして走りたくないので、あまり、レースには、参加しなくなりました。
それでも、走ることは、好きで続けていきたいので、自分にとって心地いい走りを楽しもうと思ってます。

昨年は、久しぶりに、名古屋ウィメンズマラソンに参加して、たまたま、体調が悪かったおかげで、ゴール前にテレビに映ることが出来ました。(たまたま、アナウンサーのゴールと近かったから)
サマーナイトラン12時間走に参加して、女子で3位に入賞しました(女性の参加者が少なかったため2位との差が結構ありましたが、久々の表彰式嬉しかった)
12時間走に参加して、また、ウルトラマラソンを走ってみたくなりました。
今年は、飛騨高山100キロウルトラマラソンに挑戦します。

これからも、楽しく、健康維持のために走り続けたいと思います。

立野 里美

ページトップ

Copyright © Japan Blind Marathon Association. All Rights Reserved.