2月に実施した強化合宿において、リオパラに参加した道下選手、西島選手、西島選手のガイドの溝渕さんの3名によるインタビュー記事です。
パナソニック株式会社のご好意により、社内広報記事を協会HPに掲載させていただきます。
【道下美里選手】
日本盲人マラソン協会強化指定選手
三井住友海上火災保険株式会社 九州本部所属
マラソン リオデジャネイロパラリンピック 銀メダル(T12※女子)(2016年9月)3時間6分52秒
日本記録保持/世界歴代2位 (2016年9月現在) (T12※女子)2時間59分21秒
【西島美保子選手】
日本盲人マラソン協会強化指定選手
福井楽障クラブ所属
マラソン リオデジャネイロパラリンピック出場(T12※女子)(2016年9月)
自己ベスト 大阪国際女子マラソン(T12※女子)(2003年1月)3時間11分33秒
【溝渕学さん】
西島美保子選手の専任伴走者(2003年から伴走を務め、現在に至る)
パナソニック株式会社所属
写真 左から西島選手、道下選手、伴走者の溝渕さん
「東京大会でリオでの忘れ物を取りに!」
視覚障がい者マラソンは、リオ大会から初めて女子もパラリンピックの正式種目として採用された。
2016年9月、初のパラリンピック舞台で銀メダルを獲得した道下美里選手と、視覚障がい者女子
マラソンの先駆者・牽引者である西島美保子選手、そしてその専任伴走者の溝渕学さんに、初出場
となったパラリンピック舞台を振り返っての感想、また来る東京大会に向けての抱負をうかがった。
※T12・・・障がいの程度に応じた3段階のクラス分けで、中位にあたる。手の形を認知できるものから、視力0.03までを指し、国際規則では、単独走もしくは伴走者と共に走るかを選択できる。
西島さんは視覚障がい者女子マラソンの先駆者でありライバルであり尊敬すべき選手
西島:パラリンピック出場は長年の夢でしたから、リオ大会で正式種目として採用され、選考レースを経て出場が決まった時は、長い競技生活がようやく報われたという気持ちでした。私が競技を始めた16年前は、現在のように男性の伴走者をつけて走ることすら認められていませんでした。レースに出場する他の女性選手に伴走を依頼したこともありましたが、「後に続く人のためにも!!」という思いで日本陸上競技連盟に自ら掛け合い、伴走者つきでの出場を認めてもらいました。そして、私以外にもたくさんの選手が出てくるのを心待ちにしていたところに、道下さんが現れたのです。
道下:私は、まさに西島さんがいらしたからこそ今も競技を続けていると言えます。まだ全国の公認記録の整備がままならなかった頃、福岡で競技に取組んでいた私は女子の視覚障がい者マラソンでは日本一になったと思い、満足してしまっていました。その矢先、ランナー仲間から私よりさらに早いタイムを持つ視覚障がい者ランナーが大阪にいると聞き、俄然「そのライバルを倒さなければ!」と闘志が燃えました。その方が西島さんだったのです。ライバル打倒に勝負を挑んだ大会が、忘れもしない2013年の大阪国際女子マラソンでした。
西島:そこで初めて道下さんとお会いしましたね。それまで面識がありませんでしたから、なんとか人づてに連絡先を聞いて、現地で合流しました。
道下:初対面の西島さんから「一緒に会場に行こうね」と声をかけていただき、男性の伴走者は入室できない女性更衣室を案内いただきました。不案内な場所で親切に教えてくださる方の存在はどれだけ助かったことか。給水所が視覚障がい者用に別途用意されるようになったのも、西島さんのおかげです。まさに視覚障がい者女子マラソンの道を切り拓いてくださった方です。
転機となったパラリンピック出場、悲願が叶ったパラリンピック出場
道下:2015年4月のIPCマラソン世界選手権(ロンドン)でリオ大会出場内定をいただいてからは、一気にモチベーションが上がり、また取り巻く環境も劇的に変わりました。メディアでも頻繁に取り上げていただき、2016年4月には、三井住友海上火災保険に入社、選手としての意識が変わりました。それまでは講演等の謝礼で遠征費を拠出する主婦ランナーでしたので、経済的サポートと、アスリートとして競技に打ち込める環境を得たことは非常に大きかったです。
西島:私の場合は、ここで絶対に決めようと臨んだ肝心の選考レースで調子を落とし、7月の正式発表があるまではプレッシャーとの闘いに苦しみました。
溝渕:伴走していても、西島さんの調子の悪さはすぐわかりました。伴走者は、選手に「がんばれ」と言ってはいけないし、言ってどうしようもないことは分かっていながら、このチャンスを逃したら、と思うと、あのときは言わざるを得ませんでした。これまで視覚障がい者女子マラソンの第一人者としてひたむきに取組まれてきた方ですから、出場が決まった時は本当にホッとしましたね。
道下:誰に出場内定が決まってもおかしくない状況でしたから、西島さんが一緒にパラリンピックに出場できると聞いたときは、とても嬉しかったです。
悔しさを噛みしめた初めてのパラリンピック舞台
西島:リオの暑さは、気温は高いものの、日本の夏と異なり、乾燥していましたので、思っていたよりは走りやすかったです。現地入りしてからの調整は順調で、むしろ調子が上がっていました。「絶対にゴールするぞ!」という気持ちでスタートラインに立っていました。
道下:ゴール時点では30度まで気温が上がっていましたが、私もさほど暑さは気にならずに走れました。
溝渕:メダルを目指して順調な走りができ、後半の伴走者に交代したので、途中棄権は残念でした。初のパラリンピック舞台ですから、西島さんも私も緊張感はあったものの、ロンドンマラソンなどの世界大会の経験がありましたので、力まず快調に走っていました。
西島:レースの30kmを過ぎてから体の変調を感じ、34km付近で倒れこんでしまいました。その時のことは覚えていません。意識が完全に戻ったのは、医務室のベッドの上でした。意識が戻り、仲間の顔が目に入った瞬間、「もうこれで終わったんや。レースが終わったんや。」と悔しさがこみ上げてきました。
道下:私は、「絶対に私が勝つ!金を取る!」と思ってレースに臨みました。金メダルだけを目指していたので、取れなかったことは非常に悔しいです。
写真 西島さんとリオパラに参加の伴走者。左から溝渕さん、西島選手、鍵さん。
東京大会では選手が実力を発揮できる大会運営を
道下:リオ大会では、開会式から現地入りしましたが、視覚障がい者にとって、初めて訪れる慣れない場所は精神的負担が大きく、3週間の滞在は予想以上にしんどかったです。特に英語でのコミュニケーションは必須ですね。現地でちょっとしたお願いをするのに、たとえば選手村のお掃除のおばさんに英語が通じなかったのは非常に不便に感じました。
溝渕:合宿でも1週間程度ですから、開会式から閉会式まで滞在すると長く感じましたね。
道下:選手村には点字ブロックが少なく、都度、伴走者や周囲の方の手を借りなければ情報が入らないストレスにさいなまれました。家であれば身の回りのことは自分でできるのに、選手村では何一つできない自分に気持ちが落ち込み、2週間経った頃にはストレスがピークで、伴走の方とのミーティング中に泣き出してしまうほどでした。ジムやショッピングセンター、ゲームセンターなどリフレッシュの場も用意されていましたが、視覚障がい者が活用できる配慮がなされていませんでしたし、選手村の外に出てリオの街を歩くことは治安の問題からも出来ませんでした。そういう意味で、東京大会では、選手村の外に出歩く機会を持ちたです。選手村の中も点字ブロックを敷き詰めるなど我々が過ごしやすい環境を作って欲しいです。
西島:選手村での食事は選手の楽しみのひとつで、ある程度日本からも持参しましたが、日本のハイパフォーマンスサポート・センター※で用意されたおにぎりやお味噌汁などの和食は大変ありがたかったです。
道下:オリンピックでは、カレーやうどんが用意されていたのに、パラリンピックではなかったのは非常に残念でした。うどんは食べたかったです。(苦笑)
溝渕:そうそう、お惣菜もオリンピックでは提供されていたと聞きましたが、パラリンピックでは見かけなかったですね。一方、選手村内の環境については、危険を感じる箇所があったのが気になりました。歩道と車道との段差を車いすで移動できるようにスロープが設けられていましたが、そのスロープが車いす1台分の幅しかなく、しかも手すりや柵を取付けるなど脱輪を防ぐ策が講じられていなかったので怖かったです。私も視覚障がい者のガイドで横に並んで歩きましたが、2人がぎりぎり通れる幅で、すれ違うのは難しかったです。競技面では、伴走がつかない弱視の方がレース中に給水所に迷うケースが見られました。東京の夏は酷暑の上に湿度も高いため、給水所に気づかず通り過ぎると命取りになりかねません。東京大会の運営には、暑さ対策は必須でしょうし、視覚障がい者への配慮も必要であると感じました。
道下:給水といえば、ドリンク温度がぬるかったので、冷たすぎず、ぬるすぎない温度での給水をしていただきたかったです。運用次第で温度調節はできると思います。
溝渕:レース中に冷涼効果としてシャワーやミストも放水されていましたが、風で飛ばされて少しも浴びられず、効果はまったくありませんでした。
西島:東京の蒸し暑さは選手にとっても沿道の観戦者にとっても厳しい環境になると思いますので、東京大会では競技時間を早めるなど対策をとっていただきたいですね。
※競技直前の準備のため、アスリート、コーチ、サポートスタッフが必要とする機能(リカバリー&コンディショニング、パフォーマンス分析、情報戦略、リラックス&リフレッシュ)を備える現地サポート拠点。
チームジャパンで東京大会のメダルを
西島:リオ大会では納得のいくレースができなかったので、引き続き練習を積み重ねて東京大会に出場し、忘れ物を取りに行きたいと思います。地元の福井に帰ると、伴走者なしで練習することもありますし、月に1、2度大阪で溝渕さんと一緒に練習する程度ですので、今回のような合宿は、ライバルと共に練習をすることで刺激をもらい、モチベーション向上にもつながる重要な機会になっています。
道下:合宿の参加者は、競技に対する意識が高いので、一緒に練習に取組むことで刺激をいただいています。普段は、伴走者の方々とはメーリングリストを活用して練習のスケジューリングを行っていますが、合宿では、朝から晩までずっと伴走の方と走ることができるので、貴重な機会です。私の目標は、東京で今度こそ金メダルを獲得することです。リオ大会のタイム(3時間6分)にも満足できていませんし、東京大会ではレースを支配するような走りをしたいと思っています。
溝渕:私は、西島さんが東京大会に出場できるよう背中を押しつつお尻を叩いていきます。東京大会時には定年を迎えますが、パナソニックの看板を背負ってぜひ東京パラリンピックに出場したいですね。今回、多くの選手が参加していますが、ほとんどの選手は資金・環境面で苦労しています。今後、競技に取組む選手へのサポートがもっと広がることを望んでいます。選手の活躍があってこそ大会が盛り上がりますので、選手の競技環境をサポートしていくような社会になっていけばと考えています。
(2017年3月のパナソニック株式会社 社内広報記事より転載)