東京でのオリンピック・パラリンピック開催が決まってから、国内におけるパラスポーツへの注目度は高まっている。パラアスリートのメディア露出も増え、これまでオリンピックのメダリストのみで行われていた大会後の祝勝パレードも、ことし初めてオリンピック、パラリンピック合同で開催され大きな話題となった。また選手の強化や育成にも力を入れ始め、施設や制度の整備も進んできている。
リオパラリンピックの視覚障がいマラソンで銀メダルを獲得した道下美里選手(三井住友海上)も、帰国後その盛り上がりや認知度の上昇を実感した。地元を歩けば声をかけられない日はない。また、参加した記念パレードについては「たくさんの方に『ありがとう』と言われたことが印象的だった。メダルを獲ったのだと実感させてもらいました」と笑顔で語った。人々からの期待やエールを肌で感じることができたこのパレード。しかし一方で道下選手には心残りもある。それは自身の伴走を務めてくれている堀内規生さん、青山由佳さんと一緒に参加できなかったこと。今回の記念パレードの車両に乗ることができる条件はメダルが授与されていることだった。表彰規定では伴走者へのメダルの授与は選手と共に単独で伴走した場合に限られる。道下選手は前後半2人に分けてリオのレースに臨んだ。もちろん伴走者が1人だろうと、2人だろうと一緒に競技をしているのは同じだが、メダルを持たない2人の伴走者は道下選手の隣でパレードに参加することはできなかったのだ。「伴走者がいれば私は『見て楽しむ』ということができるんです。2020年は一緒に参加できるように希望したい」。伴走者は、かけがえのない仲間であり、ランナーの『目』。次のパレードではぜひとも選手の隣で笑顔を見せていてほしい。
リオパラリンピックでは、種目を問わず数多くの世界記録が生まれた。世界のパラスポーツのレベルが上がっているということが非常にわかりやすい形で現れたと言えるだろう。一方で日本は金メダルを一つも獲得できないまま大会を終えた。この差は一体どこにあるのか。道下選手は、競技を支える側の人をとりまく環境の整備が不十分なためではないかと推測する。選手に対しての支援体制は徐々に確立されてきているというが、スポーツを支える人、道下選手の身近な存在で言えば伴走者へのサポートはまだ十分ではない。現在は自らの仕事を持ちながら、休日や有休を費やして伴走者として活動している状態。「そこに関しての理解度が高まって、競技活動として参加できるようになればいいなと。日の丸を背負って、国の代表として舞台に立つ以上、選手に近い待遇をうけてもいいのではないかと思っている」と、道下選手はこれからの社会に望むことを語った。
選手自身のレベルアップ、技術の向上、競技力の向上、競技をサポートする人への支援体制といったように、パラリンピックの成功には様々な要素が関係してくる。どれか一つが上手くいけばいいというものではなく、総合的な進歩が求められるのだ。道具やサポートメンバーに支えられて初めて成立する競技が多いパラリンピックには、オリンピックと比較してもより多くの人が関わっており、その分広範な社会的理解が必要になってくる。あと3年半。日本はこれからどう変わっていくことができるだろう。私たちには何ができるだろう。長いようで短いカウントダウンはもう始まっている。
文章/写真:早稲田スポーツ新聞会 太田 萌枝