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【ランナー便り】第4回 小林 丈二さん

健常者ランナーたちと互角に競走し合える喜び、それを全身で感じながら走り続ける

私は1977年名古屋市生まれ。生まれつき両眼に網膜色素変性症(RP)を患っています。網膜色素変性症は視力低下と視野狭窄が徐々に進行し将来的には視力自体を失ってしまう難病です。
視野が狭いために私自身も幼少期より目の前のものを顔の近くに近づけて見る習性がありました。

両親の強い意向もあり、教育はすべて健常者と同じ環境で受けてきましたが、座席は常に教室の一番前、それでも黒板の文字が見えないときは黒板の近くまで近づいて行って見たり、隣席の女の子や仲の良い友人からノートを借りて放課中に書き写したり、自宅での復習により多くの時間をかけたりしてクラスメートから遅れを取らないよう必死に勉強に励んでいました。

スポーツを好きなった学生時代、しかし・・・

小学生のときはスポーツは大の苦手で、特に球技はボールとの距離感が上手く計れないこともあって体育の授業が嫌いで憂鬱でならなかったことを記憶しています。
走るのも遅く、徒競走ではいつも最後尾。そんな自分を変えたいと中学では思い切ってサッカー部に入部しましたが、当然のことながら最初は他の部員に全く付いていけない状態でした。先輩からの助言で他の部員たちがパス練習などをしている時間、私は黙々とグラウンドの外周を一人で走り続けるといった練習を約1年継続した結果、走力は飛躍的にアップし、他の部員たちと互角に練習ができるようになり、走ることにすごく自信が持てるようにもなりました。

高校では陸上競技部に入部し、中距離種目を専門に練習しました。様々な運動部が狭い運動場にひしめき合いながら練習をするといった環境でしたので、走っていても横からサッカーボールやラグビーボールが飛んでくることもよくありましたし、冬など暗い中での練習では周りがほとんど見えなくて防球ネットに激突したこともありました。そんな危ない中での辛い練習でも、途中で挫折せずに引退期まで部活を全うできたのは、切磋琢磨し合える仲間がたくさんいて、そうした仲間たちがこんな私にも温かく接してくれたおかげだと感謝しています。

大学では陸上競技からは離れ、空手道部に入部、鼻骨がずれたり歯を折ったりと痛い思いや危険な経験をいっぱいしましたが、4年間心身をしっかり鍛えられたことは何事も嫌がらず、怖がらず、最後まで粘り強くやり抜くという点で今の自分にも大きく生きていると思います。

しかし、大学4年の秋にコンタクトレンズによる傷が原因のブドウ膜炎により左目が失明、従前に増して距離感がつかめなくなり、何かにぶつかるのではないかという恐怖感が先行してしまい、それからしばらくの間は全くといっていいほど体を動かすことをしなくなってしまいました。

再び走り始め、走れることに感動

再び走り始めようと思ったきっかけは、27歳のとき、自発的に点字を勉強しようと名古屋盲人情報文化センターへ通い始めた際に、講師の先生から「なごや楽走会」という視覚障害者のためのランニングクラブの存在を聞いたことでした。

恥ずかしい話、私はそれまでブラインドマラソンというスポーツがあることを全く知りませんでした。ボランティアで伴走をしてくれる方がロープを持って一緒に走ってくれ、それに加えて周りの状況もガイドして教えてくれる。そんなありがたく、かつ楽しいスポーツがあるのかとブラインドマラソンの魅力に一気にのめりこんでいきました。

それまで私はずっと健常者の友人の背中を追いかけながら走ってきましたし、左目の視力を失ってからは走ること自体もできなくなっていましたので、ブラインドマラソンと出会って再び走れるという喜び、安心して思いっきり走ることができるという感動はとても大きいものがありましたし、この気持ちはあれから12年以上経った今でも大切に持ち続けています。

仲間のサポートのおかげで走力もぐんとアップ!

なごや楽走会に入会してわずか2ヶ月後にブラインドマラソンのデビュー戦として名古屋シティーマラソン10kmに参加しましたが、それまでの運動不足、練習不足が影響し、40歳も年上の伴走者さんに終始励まされながら顔を真っ赤にし、ふらふらになりながら何とか10kmを走り切ることができました。
このデビュー戦でのほろ苦い経験から練習の必要性を認識し、そこからは猿投グリーンロードや尾張パークウェイ、岐阜の金華山などハードなコースに連れて行ってもらってしっかり練習をするようになりました。

入会翌年には初めてのフルマラソンとして揖斐川マラソンに参加。30kmまでは快調に走ることができていましたが、スタミナ不測でそこから急激に失速、途中から偶然合流した浜松並走会の伴走者さんにも励ましてもらいながら最後は歩くようなスピードで3時間56分で何とかゴールにたどり着くことができたという状態でした。

フルマラソンの厳しい洗礼を受けたその初フルから11年、これまでに30本近くのフルマラソンを走ってきていますが、最近になってようやく後半のスタミナ不足を解消できるような走りができるようになってきました。

30歳で結婚し、32歳で名古屋市南東部の天白区に引越しをしてからはなごや楽走会に加え、地元の市民ランナーズクラブである天白川走友会にも入会し、自分自身の走りのレベルアップを図っています。この天白川走友会は創立40年を迎え、多くのサブ3ランナーを輩出している伝統ある一般の市民ランナーズクラブであって、決して視覚障害者のためのランニングクラブではありませんが、エースの方を中心に多くの会員の方が「伴走」にも
理解を示してくれて、温かい気持ちでこの私を受け入れてくれています。普段から交代で私のロープを持って練習やレースで一緒に走ってくれています。

そんな多くの心温かい方々のサポートのおかげもあって今ではサブ3が狙えるぐらいまで走力もアップしてきました。時には伴走者として、また時にはライバルとして競走し合える仲間が同じ走友会の中にいることも私自身にとってはとてもありがたいことだと感じています。

このようにして、なごや楽走会や天白川走友会を通じて知り合った多くの市民ランナーの方たちと色々なレースを走ってきました。
かつて日本一ハードな陸連公認レースと唄われた御嶽マラソンにも2回参加して完走しましたし、人生初の海外マラソンとして東レ上海マラソンにも出走しました。

また、2010年から始まった長野マラソンの視覚障害者の部ではB2クラスで現在6連覇中です。そして、昨年からは自分自身の走りの幅をもっと広げていこうと新たに5000mなどのトラックレースやウルトラマラソンにも積極的にチャレンジするようになっています。

優勝したレースで出会った和田伸也選手から受けた衝撃

でも、こんな自分ではまだまだダメだと痛感させられたのは、4年ほど前に出場した福知山マラソン(全日本盲人マラソン選手権)のT12クラスで運よく優勝することができたときでした。

その大会の表彰式会場で私のすぐ前にはT11クラス優勝の和田伸也選手が伴走者の方たちと表彰を受けていましたが、ちょうどその記録が当時のアジア新記録を樹立されたレースでもあったようで、その記録自体にも驚かされましたが、何より和田選手の堂々とした立ち振る舞いに「自分と同年齢のブラインドランナーにこんなすごい選手がいるんだ!」とただただすごいと感心させられたものでした。

私自身は、それまで一回一回のレースでは過去の自分を超えられたことだけに満足しきっていましたが、和田選手という存在を知った瞬間から、もっと高い目標を持ってしっかり努力していかなければならないと強く感じるようになりました。

私自身は決して才能がある方ではありませんが、これまでの人生の中で人一倍努力することと、多くの方々のサポートを受けることで、目が不自由だという自分の前に立ちはだかってきた様々な問題や弊害を乗り越えてきました。
和田選手を始めとする世界の大舞台で活躍している国内トップクラスの選手たちの背中は今はまだまだはるか前にありますが、そうした選手たちの背中にほんの一歩でも近づけることを目標にこれからもあきらめることなくしっかり追い続けて行きたいと思っています。

ブラインドマラソンと出会い少しずつ自信を持てるように

仕事では大学を卒業してからずっと地元の市役所で事務の仕事をしています。拡大読書器やパソコンの画面読み上げソフトなどを駆使して仕事をさせてもらっていますので、職場環境は配慮をいただいている方だと思いますが、どうしても紙媒体中心で文字を読む機会が多いこともあり目を使って仕事をこなす必要があるため、以前は自分自身の力だけですべてやり切れていたことが、病気の進行により、健常者のサポートを受けないと、こなしていけない部分が徐々に増えてきて、病気がさらに進行し失明してしまったら仕事をこなせていけるのか?という不安とともに他の職員から半人前だと思われているのではないか?と自信を失うことも少しずつ増えてきました。

でも、ブラインドマラソンと出会い、少しずつ走力を上げてきている今、走ることでは少しずつ自信を持てるようになっています。
レースでは、伴走者さんが一緒に走ってくれているおかげで多くの健常者ランナーたちと互角に勝負ができていますし、良い走りができたときには「明日からもがんばっていこう!」と生きていく自信と活力をこのブラインドマラソンからいただいています。

これからも走る喜び、他のランナーたちと健脚を競い合える喜びを全身で感じながら力強く走り続けて生きたいと思っています。

小林 丈二

【ランナー便り】第3回 塩川 昭彦さん

30代で走り始め、第1回福知山マラソン盲人マラソン日本選手権に優勝!
今も自分の心身と対話しながら走っています。

私は、昭和36年長野県小諸市に生まれました。
眼疾は、先天性白内障で小児の頃に手術し、無水晶体眼と眼球振とう症です。左右の視力が、0.04の弱視で、地元の小学校に通っていましたが、学力の遅れで、長野盲学校に転校しました。中学部、高等部の普通科から専攻科理療科で学び、鍼灸師の免許を取得しました。

その後上京し、1年間治療院で働き、翌年に帰郷し上田市の病院に勤めました。昭和63年に、小諸経絡治療院を開業し、経絡の鍼治療の勉強をしながら臨床をしていました。30歳の時、ある事で精神病にかかり8ヶ月入院し、何とか退院し、日常生活や仕事や趣味などでも復帰でき、46歳で結婚しました。その後母に他界され、父が認知症を発症し介護もする様になり、しばらく走れなくなりましたが、父がデイサービスやショートステイなどを利用する事ができる様になり、ランニングを再開し、毎日空いた時間に走っています。

塩川さんの写真

平成7年34歳の時に、上信越自動車道の小諸インター開通記念のクォーターマラソンに初参加し、15位で表彰台に上り、賞状などを頂き感動し、走る歓びを知りました。
それがきっかけで少しずつ練習し、翌年3月、熊谷さくらハーフマラソンに参加し、18km迄順調だったが、終盤の2kmで失速し最後は歩いてのゴールで、練習の必要性を痛感しました。でも、元々は練習嫌いな性格でした。

平成10年3月、群馬県渡良瀬遊水地で、板倉ハートフルマラソンに初挑戦。冷たい雨が降り低温の中スタートしました。集団の中で走り始め、雨が止みペースを上げましたが、中盤から強風で思うように走れず、終盤の5キロは突風の影響で、やっと歩いて谷中湖を4周しました。ゴール地点がわからず、うろうろしていたら親切な方が、誘導してくれ、何とかゴールできましたが、感動よりも体が冷えきって、辛さと悔しさが記憶に残っています。

その他に、自転車にも乗っていたので水泳も練習し、トライアスロンに挑み、ショートとハーフと野尻湖や御嶽スーパートライアスロンでも完走できましたが、色々と危険な経験をし、残念ですが引退を決めました。

 

その後は、走る事に専念し、100kmウルトラマラソンにも挑み、宮古島で初完走し感激。野辺山でも完走でき、サロマでは保科清さんと一緒に走り、サブテンを達成したのが最高の至福でした! 保科さんと一緒に参加した宮古島100kmウルトラマラソンでは、足の痛みと脱水症でリタイヤ寸前、保科さんの奥さんに励まされ何とか完走しましたが、その後100kmに限界を感じ封印してしまいました。

塩川さんの写真

平成11年、長野県視覚障がい者マラソン協会に入会しました。視覚障がい者の部のマラソン大会に参加し、上位に入賞できるようになりました。保科さんと一緒に練習し、かすみがうらのフルマラソンの部に参加したり、福知山マラソンの日本選手権B3の部にも出場しました。優勝や上位に入賞できましたが、終盤失速することも多くタイムが安定せず、3時間を切れたり切れなかったり伸び悩みの状態です。フルマラソンでは、スピードとスタミナのイーブンペースで走りきれる、練習の大切さを痛感しています。

最近は、音声機器(GPSボイスコーチ=距離やタイムなどを女性の声でアナウンスしてくれる小型装着器具)のお陰で、練習が順調にできる様になり、長野マラソンの視覚障がい者の部で3連覇できたり、北軽井沢ハーフマラソン大会で50歳代の部で、3位に入賞できた事が励みになり、フルマラソンでサブスリーを目指して、競技をもう少し頑張っていきたいと思います。

将来的には、あと5年程競技を頑張っていこうと思います。その後の目標は、仲間とファンランや健康維持で走り続けることと、長野県視覚障がい者マラソン協会(NBMA)の、20周年に向けての準備や活動に協力することです。後輩の育成などもできれば良いと思っています。

長野県視覚障がい者マラソン協会会員 塩川 昭彦

伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会(広報インターン記事)

日本メイスン財団のサポートのもと、9月24、25日に日本盲人マラソン協会主催の伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会が静岡県・掛川市つま恋で行われた。伴走の理論や、盲人マラソンのルール講習会を通し、盲人マラソン・ガイドランナーの普及を目的としている本研修会には視覚障がい者ランナーを含めた総勢32名が参加。実際の伴走体験やトレーニング理論の講習を通し、幅広い世代の人々がブラインドランニングについて学ぶ契機となった。

伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会集合写真

研修会1日目には基礎的な伴走理論の説明、そしてトレーニング理論の講習があった。伴走理論説明では、鈴木邦雄常務理事が基礎的な伴走方法を自身の経験を交えながら紹介。視覚障がい者はランニングの際、その不安から、どうしても歩幅が狭くなりがちになる。しかし伴走者を信頼できれば自然とその歩幅は広がり、安心して走り出すことができるのだという。「一歩を安心して踏み出せるようにするのが我々伴走者の役目です」(鈴木常務理事)。ストライドや、ロープで繋がれた腕の振りのペースを合わせるのは必須。また、常に言葉を絶やさず、的確に危険物・障害物を伝えながら伴走する必要があるが、その際に「KYT(危険予知トレーニング)」を念頭に置かなければならない。

「KYT」は場所や状況によって危険を先回りして考えるということ。例えば公園で練習をする際には、遊んでいる子供が予測できない動きをするかもしれない。それも含めて危険を察知・伝達できるかが信頼を作る上でのカギとなる。

伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会集合写真

また、トレーニング理論の講習では安田享平強化担当理事から、練習サイクルの重要性やトレーニングの種別とその目的についての説明があった。安田理事は先日のリオパラリンピックでも日本チームのコーチを務めたベテランの指導者。ブラインドランナーはもちろん、伴走者も走力向上のための指南を受けた。

伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会集合写真

2日目には早朝6時から朝練習を敢行。軽いジョッグをしたのち、「クーパーテスト」が行われた。クーパーテストとは12分間各自のペースで走り、その距離によって走力レベルを計測するというもの。先頭を走るブラインドランナーは制限時間内に3000メートル弱を走破し、1キロ約4分20秒という好ペースで走りきった。

伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会集合写真
伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会集合写真

その後は前日に引き続き伴走理論の紹介と、リオパラリンピックの報告会が行われた。伴走理論説明ではロープの握り方やどのような声をかけるべきかといったより実践的な内容を紹介。講習を受ける伴走者も積極的にメモを取る姿が目立った。リオパラリンピック報告会は安田強化担当理事が担当。選手たちのコンディショニング維持の方法や、当日のレース戦略の考え方など多岐に渡る話を披露した。盲人マラソンで男女でメダルを獲得した今大会の結果を踏まえ、「また東京ではメダルを狙いたい」と報告を締めくくった。

伴走者養成・視覚障がい者マラソン研修会集合写真

主に競技中・練習中の注意事項や伴走テクニックについて学んだ研修会だが、宿泊中は健常者と視覚障がい者が寝食をともにした。ランニングだけではなく、日々の生活を通し、伴走者と視覚障がい者の双方が得たものは多かったはずだ。「視覚障がいのある方に声をかけて助けることに、ためらいがなくなったかな」。今回が2回目の研修会参加となった伴走者の男性は語る。このような輪が広く、深く浸透することを願わずにはいられない。

文章:早稲田スポーツ新聞会 平野 紘揮

写真:日本盲人マラソン協会

【インタビュー】リオパラリンピックを終えて

リオパラリンピック集合写真

 

 

岡村正広(第3位)

酷暑のレースとなったが、長年の経験を活かして、夏マラソンへの適応力、対応力を存分に発揮し、レース終盤も力強く走り通すことができた。
念願だったメダルを獲得することができ、素直に喜びたいです。
この4年間リオでのメダル獲得だけを目指し、全力で取り組んできました。今は何も考えられず、今後のことはお休みをいただきながら、決めていきたいと思います。

 

堀越信司(第4位)

想定していた通り、暑い中でのレースとなりましたが、自分の力不足からメダルを逃してしまい、悔しい気持ちしかありません。同じレースを走っている以上、他の選手も条件は同じなので、暑さも言い訳にはならないと思います。そしてメダリストに敬意を表します。
今後はマラソンの経験を積みながら、結果を出すことができるように頑張っていきたいと思います。
応援していただき、ありがとうございました。

 

和田伸也(第5位)

出場3種目ともに入賞でき、今持てる力をすべて発揮することができました。
トラック種目では特に、1500mで決勝に進めたのがよかったと思いますし、予選、決勝ともに日本記録を更新する最高の走りができたと思います。
マラソンでは、35℃の暑さの中、後半ハーフを1分以上あげ、他の選手が苦しむ中、順位をあげることができました。想定した通りのレースをすることができ、自分の持ち味を十分発揮できた走りだったと思います。それは、ガイドでともに闘っていただきました中田さん、行場君のおかげです。大変感謝しております。ありがとうございました。
 4年前と比べ、世界のライバルたちのレベルアップを痛感いたしました。私もこの4年で強化を進められたと思っていますが、それを上回るレベルで、今持てる力をすべて発揮しても、かなりの力の差を見せ付けられた大会となりました。
今後、その差をどう埋めていくのか、現状をすべて見つめ直して、どうしたら更に上のレベルの走力を身につけられるのか。その課題を克服していかなければ、世界と闘うには絶望的な状況にありますので、帰国して少しゆっくり考えて、早々に実行に移していかなければならないと考えています。

 

行場竹彦(和田 前半ガイド)

自身が伴走したのはマラソンのみでしたが、サポートしたトラック種目も含め、和田さんは3種目ともに力を出し切って良く戦ってくれました。
事前の合宿から頑張りをみてきただけに、この場で一緒に走れたことを嬉しく思いました。
レースの着順は相手がいることなので、こちらではどうしようもない部分もあります。いずれも狙ったレースをすることはできました。
今後に向けては個人としてはまだ課題がたくさんあるので、ひとりで練習するときも伴走の技術的なことを意識していきたい。
和田さんは2020東京大会も目指すので、そこへ向けての強化も話し合い、さらにお互い力を高め合いたいと思います。

 

中田崇志(和田 後半ガイド)

応援ありがとうございました。
和田選手、行場ガイドと共に3種目(マラソン、5000m、1500m)に挑み、全てで入賞することができました。2020東京で更に良い成績を出すべく、今後も全力で取り組んで参ります。

 

道下美里(第2位)

日本からたくさんの応援ありがとうございました。気温30度を上回り、過酷なレースでしたが、皆さんの応援のおかげで最後まであきらめず粘り、銀メダルを獲得することができました。同時に悔しさも課題も残るレースとなりました。年末の防府マラソンでは世界記録更新を目指して頑張ります。
ガイドの堀内くん、青山さんをはじめ、JBMA、チームスタッフの皆さん、応援いただいた皆様に心から感謝しています。
本当にありがとうございました。

 

青山由佳(道下 前半ガイド)

本当に多くの方に支えられながら走ることができ、ありがとうございました。
悔しい銀メダルですが、今出せる力は出し切れたと思います。今後もさらに上を目指して励んでいきますので、応援よろしくお願いします。

 

堀内規生(道下 後半ガイド)

想定していた暑さ、展開となり十分勝負できるものだと臨んだが、相手が強かった。最後まで何が起きるか分からないので、前を向き続けること、一つでも上の順位を獲得したい一心で後半の追い上げができた。
目標は金メダル。及ばなかった現実を受け止め分析し、今後のトレーニングにリンクさせたい。
競技力向上はもちろん、パラの世界の魅力を姿からも感じてもらえるような活動を行っていきたい。

 

近藤寛子(第5位)

世界の舞台で暑い熱いレースとなりました。
二人の伴走者に支えられて、そして多くの方々に支えられてこれまでの自分の死力を尽くして走ることができました。
心から感謝の気持ちで一杯です。
5位入賞。大きな自信にして2020東京に向けてスタートします。

 

日野未奈子(近藤 前半ガイド)

近藤さん、ガイド含めて初めての海外でのレースとなったが、「いつも通り」を心がけて万全の状態でレースに臨むことが出来たことが今回の結果につながったと思う。
今大会での経験を活かし、今後さらに飛躍できるよう、努力を続けていきます。
応援ありがとうございました。

 

川嶋久一(近藤 後半ガイド)

後半伴走を受けた時点で近藤さんに余裕があったので必ず、最後まで走り切れると思った。
別大マラソン以降、足底筋の故障、夏合宿中の体調を考えれば満足のいく結果であった。
トラック種目のスピードを強化して更なるレベルアップに努めてほしい。

 

西島 美保子(DNF)

リオに入り体調もよく暑い名でのレースも経験しているので絶対、良い形でゴールできると信じてスタートラインに立ちました。前半は設定タイムを守り、やや余力を残して後半の伴走者に変わりました。ところが、30k付近から身体の動きがおかしくなり、33k位で倒れてしまいました。気が付いた時は医務室のベッドの上でした。
北海道マラソンを走り、暑さは大丈夫と油断もあったかと思います。
給水はこまめに取っていましたが、もう少し水をかぶり身体を冷やす事も必要だったと思います。
大事なレースでゴールにたどりつけなかったのは、非常に残念です。
来年のロンドンマラソンの選考に向けて、防府マラソンで記録を残したいです。

 

溝渕 学(西島 前半ガイド)

設定タイム通り、後半に備えていい走りができた。
暑さ対策を行ってきたつもりだったが、まだ何か足りない部分があると思う。
もっと余力を持って走りきる力をつける必要がある。

 

鍵修一(西島 後半ガイド)

暑い中のレースになったが前半は合宿などの成果もあり、上手く走れていた。
ゴールできなかったことが残念で悔しい!
急なトラブルで対応ができなかった。
体力不足を考えて、更なる食事、練習内容の検討をしていく必要がある。

 

 

リオ パラリンピック 男女マラソン(広報インターン記事)

メダル獲得の道下選手と岡村選手                                                       日本盲人マラソン協会

 

リオデジャネイロパラリンピック、陸上競技の最終種目となったのは男女のマラソンだった。T11/12(視覚)クラスには、日本から男女合わせて6人のブラインドランナーが参戦。男子では岡村正広選手(千葉県立千葉盲学校)が銅メダル、女子では道下美里選手(三井住友海上)が銀メダルを獲得し、アベックで表彰台に立つという快挙を成し遂げた。

さすがは南米と言ったところか。スタートからすでに強い日差しが照りつける中で、レースが始まった。T12男子マラソンに出場したのは岡村選手、堀越信司選手(NTT西日本)、和田伸也選手(賀茂川パートナーズ)の3名。序盤は岡村選手と堀越信司選手が4位前後で並走し、和田伸也選手が後方から歩を進めるというレース展開に。「この4年間リオでのメダル獲得だけを目指し、全力で取り組んできた」という岡村選手は25キロをすぎて一人旅となったが、マラソンの鬼門と呼ばれる30キロ以降もペースを落とさずに走り続ける。「長年の経験を活かして、夏マラソンへの適応力、対応力を存分に発揮し、レース終盤も力強く走り通すことができた」と、酷暑の中のレースに対応し、見事3位で銅メダルを獲得。その後塵を拝し4位でフィニッシュとなった堀越選手はゴール後、悔しさをあらわにしながらも、「みんな同じ条件だから暑さは言い訳にならない。メダリストに敬意を表します」と、岡村選手らを讃えた。一方、後半から大幅なペースアップを図った和田選手は終盤に5位に浮上しゴール。今大会で1500メートル、5000メートル、そしてこのマラソンの3種目全てで入賞を果たすという離れ業をやってのけた。

今大会から初めて採用されたT12女子マラソンには道下選手、近藤寛子選手(滋賀銀行)、西島美保子選手(日本盲人マラソン協会)の3名が出場。道下選手は序盤、落ち着いたラップを刻みながらレースを進める。その軽快なピッチは距離を追っても落ちる気配はなく、30キロ付近で2位まで浮上。その時点で先頭との差は5分近く開いており、その背中に迫ることはできなかったものの、最後までペースを落とさず走りきり2位でフィニッシュした。自己ベストでは出場選手ランキングトップの記録を持っていただけに「悔しさも課題も残るレース」と語ったが、3時間06分52秒で見事銀メダルを獲得した。近藤選手は5位入賞を果たし、「大きな自信にして、2020東京に向けてスタートします」と語った。また、西島選手は30キロ過ぎにアクシデントがあり、途中棄権を余儀なくされ無念のリタイア。西島選手の後半ガイドランナーを務めた鍵修一氏は「更なる食事、練習内容の検討をしていく必要がある」と、次戦に向けトレーニングの見直しを視野に入れている様子だ。

最終競技であるマラソンを終え、熱戦を繰り広げたリオオリンピック・パラリンピックがついに終幕を迎えた。次の舞台は2020東京オリンピック・パラリンピックだ。それまでに各々の選手はどれだけの成長を見せるのか。4年後には、表彰台の上でさらに多くの笑顔を見せて欲しい。

早稲田スポーツ新聞会 平野 紘揮

 

 

リオパラリンピック視覚障がい者マラソンの部でメダル2つ獲得!

メダル獲得の道下選手と岡村選手

9月18日に行われたリオパラリンピック視覚障がい者マラソンの部で、男子岡村正広選手が銅メダル、女子道下美里選手が銀メダルを獲得しました!

皆さまの力強いご声援ありがとうございました!
詳細は、帰国後のインタビューを楽しみにお待ち下さい。

男子マラソン(視覚障がいT11・T12混)

順位 氏名 タイム
1 EI Amin Chentouf (モロッコ) 2時間32分17
3 岡村正広 (日本) 2時間33分59銅メダル獲得
4 堀越信司 (日本) 2時間36分50
5 和田伸也 (日本) 2時間39分52

女子マラソン(視覚障がいT11・T12混)

順位 氏名 タイム
1 Elena Congost (スペイン) 3時間1分43
2 道下美里 (日本) 3時間6分52銀メダル獲得
5 近藤寛子 (日本) 3時間23分12
西島美保子 (日本) DNF(途中棄権)

和田選手2種目6位入賞、日本新記録更新!

和田伸也選手が、1500mと5000mの2種目で6位入賞いたしました。
1500mでは自身の持つ日本新記録を予選と決勝で更新!
たくさんの応援ありがとうございました。

また、いよいよフルマラソンが9月18日[日曜]9時(日本時間18日21時)にスタートします。
ご声援どうぞよろしくお願いします。

9月13日 男子1500m(視覚障害T11) 決勝結果

順位 氏名 タイム
1 Samwel Mushai Kimani (ケニア) 4分03秒25
2 Odair Santos (ブラジル) 4分03秒85
3 Semih Deniz (トルコ) 4分05秒42
6 和田伸也 (日本) 4分15秒62 日本新

9月11日 男子1500m(視覚障害T11) 予選2組結果

順位 氏名 タイム
1 Samwel Mushai Kimani (ケニア) 4分04秒50
2 Odair Santos (ブラジル) 4分05秒34
3 和田伸也 (日本) 4分16秒12 日本新

9月8日 男子5000m(視覚障害T11) 結果

順位 氏名 タイム
1 Samwel Mushai Kimani (ケニア) 15分16秒11
2 Odair Santos (ブラジル) 15分17秒55
3 Wilson Bii (ケニア) 15分22秒96
6 和田伸也 (日本) 16分02秒97

【ランナー便り】第2回 保科清さん

40代で走り始めアテネパラリンピック入賞。続けることが大事。

保科清さんは、長野県伊那市(旧高遠町)出身。高校生までは普通高校で学び、卒業。しかし、就職先は視力が弱いため、なかなか希望通りの所が見つからなかった。そこで、盲学校高等部で学び直し、鍼灸師の資格を取得する。小海赤十字病院に就職し、患者の立場になって、リハビリ等に専念。患者が一日も早く、復帰できるように治療にあたる。

43歳の時に、親族が亡くなる等から、自分自身の体力づくりと健康維持のためにジョッギングを始める。最初は、犬の散歩程度だったが、走る楽しさを知り、フルマラソンを目指して練習に取り組む。まだ、その頃は、一人でも走れ、病院までの通勤ラン等で月間400~500キロを走り込む。

アトランタパラリンピックを目指し、選考会に出場したが、参加照準記録に届ず、参加できなかった。シドニーパラリンピックには、出場できたが、ゴール手前80メートルで脱水症状になり、足がふらつき、腕をささえられゴールしたため、失格となってしまった。記録を残す最後の大会と決めていたが、記録が残らず「明日からまた、がんばる」「サポートしてくれた人の気持ちに応え、感謝の気持ちを表すために記録を残したい」と決意し、次のアテネパラリンピックを目指してトレーニングを始める。アテネパラリンピックでは、2時間56分30秒で5位入賞という輝かしい記録を残した。この大会の時には、視力が落ちB1、全盲クラスでの出場だった。

保科さんの写真

平成11年には長野県視覚障がい者マラソン協会を仲間と立ち上げ、副会長に就く。平成16年からは会長を引き受け、現在に至っている。会長として、長野マラソンに「視覚障がい者の部」を新設して、招待選手と全国各地から視覚障がい者を受け入れ、視覚障がい者が活躍する場を創った。トップ選手としての活動が終わっても、フルマラソン、100キロウルトラマラソン等に出場を続け、伴走者の育成も続けている。県内各地の小学校で長野県視覚障がい者マラソン協会長として、伴走体験を実施したり「夢を追う」という演題で、小学生に「続けることが大事(継続は力なり)」という内容を話し、感動をあたえている。

日本盲人マラソン協会の理事として、競技者の立場から協会の発展に寄与している。「生涯現役」という言葉が好きな通り、これからも益々、活躍することと思う。

長野県視覚障がい者マラソン協会 宮澤 武弘

リオ2016パラリンピック 和田 伸也 選手インタビュー

和田選手写真
– パラリンピック出場が決まっての率直なお気持ちを教えてください
和田二回目なので前回の経験を生かして、前回以上の結果を出すために頑張りたいなと身が引き締まる思いです。
– 出場が決まって、周りの方々から何かお言葉はありましたか
和田私は京都の鴨川パートナーズというブラインドのチームに所属しているのですが、ロンドンパラリンピック以降その応援の輪がだいぶ大きくなってきています。二大会連続出場が決まったということで、この前も壮行会を開いてもらって応援してもらいました。期待が大きいなと思います。
– プレッシャーを感じる部分もありますか
和田そうですね。みんなメダルを期待してくれていますけども、それを良い意味でプラスに変えて自分が頑張る原動力にしていけたらなと思っています。
– もともとはトラック競技をやられていたのですか
和田それよりも前はマラソンをやっていました。マラソンをやっていて、2009年に盲人マラソン協会の強化指定選手に指名していただいてそこからトラック競技を始めました。その後の2010年のアジア大会では800メートル、1500メートル、5000メートルで三冠を達成することができました。
– トラック競技の練習がマラソンに生きてくることもありますか
和田ありますね。特に5000メートルの力をしっかり上げることはマラソンにつながります。ロンドンも今回もそうですが、マラソンはT12という弱視クラスに私たちのようなT11の全盲クラスの選手が食い込んでいかないといけないので、T11だけで開催されるトラック競技とは違って非常に不利な種目に取り組む上でもトラックの練習は生きていると思います。
– 暑さ対策は何かされていますか
和田暑いのは好きな方で、それほどコンディションを崩さずトレーニングできる方なので、暑さに弱い選手を食っていければと思います。
– 現在の調子はいかがですか
和田協会の合宿をたくさんやっていただいているお陰で良いトレーニングを積めています。地元でもしっかりトレーニングできているので、本番に向けてピークを合わせていけるのではないかなと思います。
– リオで何か楽しみなことはありますか
和田T11クラスの5000メートルのレースが初日でマラソンが最終日なので、大会を通じて良い緊張感の中レースが楽しめるなと思いますし、選手村での食事なども楽しみにしています。
– パラリンピックでの目標を教えてください
和田ロンドンでは5000メートルで銅メダルを獲ったので、それ以上の結果を目指して頑張りたいなと思います。

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リオ2016パラリンピック 堀越信司選手インタビュー

堀越選手写真
– パラリンピック出場が決まった時のお気持ちを教えてください
堀越
去年の4月に推薦の第一位ということが決まっていたのですが、それから1年数か月の空白期間があったのでようやく決まってよかったなというのが一番大きなところですね。
– リオで楽しみなことはありますか
堀越走るのが一番楽しみです。
– 暑さ対策などは何か考えていますか
堀越リオに向けて暑い中走るなど特別なことは特にやっていなくて、現地に入って気象状況をうまく把握していって自分なりに何か対策を立てていくしかないのかなと思っています。情報がなさすぎてわからないですね。この前の代表合宿中にも気象の話にはなったのですが、去年の9月18日の気温が38度ということや一方で雨が降ったら寒いということを聞きました。当日どうなるかは本当にわからないので、今から対策となると逆に難しいのかなと思いますね。暑いと思って暑い中で練習しすぎても駄目ですし、逆に涼しいことを想定して涼しい場所ばかりで練習しても現地に行って疲労が出てしまうことがあるので、特に気候のことは考えずにオーソドックスな練習を淡々と重ねています。
– 開幕まで1か月となりましたがいまの調子はいかがですか
堀越いまは一番疲れている時期で練習をしていても全然走れず、ゆっくり走るのもきつい状況なのですが、いまはこれでいいとある程度割り切ってやっています。本番に向けて、現地に入ってから調整をしていけば確実にメダルが狙えると思っています。そこは自信を持っているので調子が良いか悪いかで言えば悪い状態ですが、ここから上げていきたいと思います。自信は持っているので心配はしていないです。
– パラリンピック出場が決まって、ご家族や周りの方々の反応はいかがでしたか
堀越家族は毎回見に来てくれるのですが、去年の段階から絶対見に行くからと言ってくれていたので決まったから特別何かということはありませんでした。所属先のNTT西日本陸上部の周りの選手たちは、正式に決定したという報告をしたときによかったと言ってくれたのですごく嬉しかったです。そういった気持ちにはやはり結果で応えたいなという思いもあるので、しっかり自覚をもって走りたいと思います。
– パラリンピックでの目標を教えてください
堀越まずは東京大会につながる走りをするというのが一番です。最終的な目標は東京パラリンピックのマラソンでメダルを獲ることなので、それにつながる走りをしたいです。そのためにはやはり世界でメダル争いをする、メダルに絡むというのが大事になってくると思うので、メダル争いに絡んでいってチャンスがあれば貪欲にメダルを狙っていこうと思っています。

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リオ2016パラリンピック 岡村 正広 選手インタビュー

岡村選手写真
– パラリンピック出場が決まっての率直なお気持ちを教えてください
岡村ようやく決まって安心しました。ホッとしました。
– 出場が決まって周りの方々から何かお言葉はありましたか
岡村大勢の方からたくさんの声援をいただいて励みになっています。
– 前回のロンドン大会では4位入賞という結果を残されていますが、今大会はどのような意気込みで臨まれますか
岡村前回4位でメダルにあと一歩届かなかったという悔しさをバネに、ぜひメダルを目指したいと思います。
– 現在の調子はいかがですか
岡村合宿の練習メニューなども順調にこなして、非常に良い流れできていますのでいまのところ絶好調です。
– リオで楽しみにしていることはありますか
岡村とにかく競技に集中して自分の力を全部出し切ることだけを考えています。
– 暑さ対策など考えていることはありますか
岡村去年の北海道マラソンで暑い経験があるので、その時に心がけたことを忠実にリオでも実践して暑さに打ち勝ちたいですね。
– パラリンピックに向けた意気込みを改めてお願いします
岡村メダルはぜひ目標にしたいところですから、そのために残りの期間精一杯できる限りのことをやって、本番ではしっかり悔いの残らないような走りをしたいと思います。

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リオ2016パラリンピック 道下 美里 選手インタビュー

道下選手写真
– パラリンピックが決まっての率直なお気持ちを教えてください
道下10年越しの夢なので、ものすごい夢の舞台に近づいているなと、いま感じています。
– 道下選手はロンドンマラソンで出場がほぼ確実となりましたが、実際に決定の知らせを受けていかがでしたか
道下内定が出るまで日にちがありましたが、私はもう出場するという気持ちでトレーニングを続けていました。改めて出場決定の通知を受けた時は、あぁやっとあの舞台に立てるんだという思いが溢れました。スタートラインに万全な状態で立てるように着々と準備を進めていきたいと思います。
– 女子のマラソンは今大会から正式種目となり、周りからの期待も大きいと思いますがプレッシャーに感じることはありますか
道下いま現在はあまりないですね。プレッシャーという言葉が自分自身あまり好きな言葉ではないので、期待を力に変えてそれも楽しんでいきたいなと思っています。初めてで、レースがどうなるのか誰もわからないと思うので自分のレースをしっかりしたいと思います。
– パラリンピック出場が決まって、ご家族や周りの方々の反応はいかがでしたか
道下身近な主人や家族は夢が叶っても叶わなくてもそのままでいてねって言ってくれて側にいてくれる温かい存在ですね。仲間も結果がどうこうというより、そこに立てることが喜ばしいと思ってくれています。本当に「いま」という瞬間を楽しみたいなと。でも日の丸を背負って立つので、その辺は自覚をしっかり持ちたいです。こんな機会一生に一度か二度で、本当にその瞬間は二度とやって来ないので、その瞬間瞬間を自分の宝物にできるように過ごしていきたいと思います。
– リオで楽しみにしていることはありますか
道下うーんなんだろう(笑)。メダルをもらう瞬間かな。もうもらえると思っているので、そこに向かっていきたいと思います。
– 暑さ対策は何かしていますか
道下いま私は福岡に練習拠点を置いているのですが、暑い時間にもゆっくり走ったり、日中外に出るようにしたりしています。あとは首にアイシングを巻いて走ったり、帽子に日よけを付けたり、給水も暑い中でしっかり対応できるように塩分や栄養分を考えたりしています。給水のスポンジなども準備できるものは準備していきたいと思います。
– 現在の調子はいかがですか
道下ものすごく順調に来ています。毎回の合宿で距離も伸びてきていますし、足作りはしっかりできているので、あとはどれだけ本番前にスピード練習を入れてキレを出していけるかというところですね。
– リオでの目標を教えてください
道下金メダルを持って帰って来たいですね。女子マラソンは初めてなので、初代女王目指して頑張ります。

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リオ2016パラリンピック 西島 美保子 選手インタビュー

西島選手写真
– パラリンピック出場が決まっての率直なお気持ちを教えてください
西島ずっと夢だったことが現実になってとても嬉しいです。
伴走選考レースで失敗しまこともあったので、まずはホッとしました。女子視覚障がい者のマラソンの第一人者としてずっと頑張ってきていただいた西島さんが出場できて本当によかったなと思います。
伴走一番頑張って来られた方なので出場が決まって本当に喜んでおります。
– 女子のマラソンは今大会から正式種目となりますが、周りからの期待などを感じる部分はありますか
西島期待されていますが、とにかく自分がいままでやってきたことを悔いのないようにやれたらいいなと思っています。
– 出場が決まってご家族や周りの方々から何かお言葉はありましたか
西島いままであまり連絡がなかった人も含めて、たくさんの私に関わってくれた方がメールをくださったり、お電話でおめでとうって言ってくださったりしてあぁこんなに期待されているんだって改めて思いました。
– 暑さ対策として特別に考えていることはありますか
西島暑いのは苦手なのですが、日本にいる間はなるべく冷房を使わずに暑さに慣れるようにしています。
伴走練習を一番暑い時間帯のお昼にやっています。
– リオで何か楽しみなことはありますか
西島初めての経験で、見るもの聞くもの全てが新鮮なので、何がという特別なものは特にありませんがとにかく楽しんできたいと思います。
– パラリンピックでの目標を教えてください
西島最後まで自分のペースを守って、少なくともメダルに絡めるレースができたらいいなと思います。

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リオ2016パラリンピック 近藤 寛子選手インタビュー

近藤選手写真
– パラリンピック出場が決まっての率直なお気持ちを教えてください
近藤2年前に主人を亡くすなど、私自身いままで色々なことがあったあとに女子マラソンが正式種目に決まって、協会の方はじめ伴走者のみなさんや仲間のみなさんにたくさん支えていただいて私もリオに行きたいと夢をもってきました。その夢が叶ってマラソンを続けてきて本当によかった、諦めなくてよかったと思いました。
– 周りで支えてくださった方から何か言葉はありましたか
近藤亡くなった主人はもともと旅行が好きな人だったのですが、私が競技を始めてからあまり旅行にも連れて行ってあげられない状況の中で、家族をリオに連れて行ってくれたらいいよと普段の会話の中で伝えてくれていたので、そういう何気ない会話ですが家族の思いを果たせてことはよかったなと思いました。
– 何か暑さ対策はされていますか
近藤私は滋賀県に住んでいて練習も琵琶湖などですることが多いのですが、そのあたりは最近では40度くらいまで上がるんです。なので真夏に普段は走らないところも根性出して走っています。この暑さの中走れたということを自信に、リオでも走りたいと思います。
– リオで楽しみなことはありますか
近藤私は本当によく食べるし、食べるのが大好きなので各国の料理を楽しみにしています。
– 女子マラソンは今大会から正式種目となりましたが、周りからの期待やプレッシャーを感じることはありますか
近藤普段の生活や練習を本番まで大切にしていけば、いままでやってきたことが自信になると思うので、やってきたことを信じていくことがプレッシャーを良い方向、やる気に変えていくために必要だと思います。あとは支えてくれる人、期待してくれる人がたくさんいることを大きな力にして、頑張りたいなと思っています。
– 現在の調子はいかがですか
近藤7月末から体調が少し悪くて練習がうまくいかず。そこで少し焦りや不安が出てきましたが、ここからの一か月で本番に万全な状態で臨むためにはどうすればいいかをもう一度見つめなおして、これから過ごしていきたいと思います。
– パラリンピックでの目標を教えてください
近藤協会からも全員が入賞(を目指す)と言われているので、やはり入賞、願わくばメダルを狙います。ゴールは笑顔でしたいと思います!

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リオ2016パラリンピック まもなく開幕(広報インターン記事)

リオパラリンピック代表選手の写真

オリンピアンが熱い戦いを繰り広げた地、リオデジャネイロでまもなくパラリンピックが開幕する。盲人マラソンには堀越信司選手(NTT西日本)、和田伸也選手(賀茂川パートナーズ)、岡村正広選手(千葉県立千葉盲学校)の男子3名、道下美里選手(三井住友海上)、西島美保子選手(日本盲人マラソン協会)、近藤寛子選手(滋賀銀行)の女子3名、計6名の選手が出場。いずれもメダルの有力候補だ。

男子選手三名はパラリンピックをすでに経験しており、今大会ではそれぞれの経験を生かし、より上のレベルを見据える。パラ陸上の長距離選手として唯一実業団チームに所属している堀越選手は、「実業団のチームメートにパラリンピック出場を報告した際、喜んでくれたことがとても嬉しかった。そういった思いに結果で応えたい。」と仲間の応援と期待を背にレースに臨む。また、自身最大の目標を東京パラリンピックでのメダル獲得に定めており、リオでは4年後につながる走りのためにメダル争いに絡んでいきたいと、レースの目的を明確に掲げた。ロンドン大会では5000メートルで銅メダルを獲得するなど、トラック競技では数々の好成績を残している和田選手は、マラソンでのメダル獲得にも意欲を示す。T12の弱視クラスとT11の全盲クラスの区別がないマラソン競技は、全盲クラスの選手にとって非常に不利であると言われている。和田選手はT11クラスで競技に取り組むが、そういった不利な状況でも上位争いに食い込んでいく上で、トラック競技で得た経験が生きてくると言う。自ら手にしてきた豊富な経験と実績を糧にスタートラインへ。「ロンドン大会以降、応援の輪が大きくなっている。周りからの期待をプラスに変えて、自分の原動力にしていきたい。」と笑顔を見せた。前回大会4位と、メダルまであと一歩だった岡村選手はその悔しさをバネにリオへと向かう。合宿のメニューも順調にこなし、絶好調だと語る落ち着いた表情からはその調子の良さをうかがうことができた。「目標とするメダル獲得のために、残りの期間精一杯できることをして、悔いの残らない走りをしたい」(岡村)。悲願のメダル獲得へ、静かに闘志を燃やす。

女子視覚障がいマラソンは今大会からパラリンピック正式種目に採用され、選手たちが懸ける思いもひとしおだ。4月のロンドンマラソンでいち早くパラリンピックへの切符を手に入れたのは道下選手。「パラリンピックは10年越しの夢。日の丸を背負う自覚は持ちつつ、その一瞬一瞬を楽しんで自分の宝物にしたい。」と思いを述べる。「メダルをもらう瞬間が楽しみ。金メダルを持って帰ってきたい。」と初代女王への意気込みも十分だ。表彰台の一番高い場所でとっておきの笑顔を期待したい。女子視覚障がいマラソンの第一人者として活躍し続ける西島選手は「ずっと夢だったことが現実になってとても嬉しい。何もかも初めての経験なのでとにかく楽しみたい。」と夢の舞台へ胸を高鳴らせた。人一倍積み重ねてきた努力を自信に変えて、悔いのないレースでメダルを狙う。家族をリオに連れていく、と亡くなったご主人と約束していたという近藤選手。家族の思いを果たしブラジルへと向かう。「たくさんの方に支えられながらリオ行きの夢を持ち続けてきた。その夢が叶って、マラソンを続けてきて本当によかった、諦めなくてよかったと思った。」と胸に秘めた思いを明かしてくれた。夢の実現を後押ししてくれたすべての人への感謝を胸に、背負って立つ期待を力に、笑顔でのゴールを目指す。

複数回合宿を実施するなど、強化にも力が入る今大会。女子選手も参加可能となり、男女ともにメダルの獲得が期待されている。それぞれの思いを抱いて、42.195キロのスタートラインに立つ選手たち。陽気な国でたくさんの笑顔が咲き誇るように、日本からエールを届けよう。

早稲田スポーツ新聞会 太田 萌枝

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